■竹田和夫プロフィール

■1968年8月
洪栄龍氏の後任としてビッキーズに参加。プロギタリストとなる。
1969年 「BLUES CREATION」 を結成。
「当時はシカゴ・ブルースを志向するバンドで、バターフィールド、マディ・ウォーターズ、ライトニン・ホプキンス、ジュニア・ウェルズなどのナンバーが主だった。」 (K.T.)


■ BLUES CREATION、ポリドール・レコードにてデビュー・アルバムを録音する。
「デビュー・アルバムのディレクターは 松村氏。池尻大橋のポリドールスタジオで、アンぺックスの4トラックで録音。使用ギターは エルク ワイルドキャット、アンプはヴァイキング、オーバードライヴとワウはともにエーストーンだった。」 (K.T.)

■1970 8月
「この年から 所属していたプロダクションを辞めフリーになった。折からのヒッピー文化とリンクして活動が野外ロックフェスなどに変わっていった。メンバーも、大沢が戻り、バターフィールドやシカゴブルーズを中心にプレイしていた。」 (K.T.)

■ 5月 竹田は初の外国製ギター、フェンダーエスクワイアーを買う。
同じ頃、東京キッドブラザースの舞台音楽を担当した。


「この年より新宿から渋谷に拠点を移し、ジャンジャン月曜の昼・・ という 今考えるとなんと地味な時間帯だろう。ところがここで信じられない事に 東京中の若い世代のプレイヤー達が 或る人はタイバンとして又 あるいは、客として集まりだし、超がつく程の大変な盛り上がりとなった。、、」 (K.T.)


■1971年7月25日 BLUES CREATION、セカンド・アルバム「悪魔と11人の子供たち」をリリース。


■9月 カルメン・マキとの共演アルバム 「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」 をリリース。


■1972 春 BLUES CREATION解散。渡英


■1973年3月 内田裕也をサポート、1815Rockn'N' Roll Bandとして 内田裕也 「Rock'n Roll放送局」 をリリース。


■5月~6月
「5月から6月 バンド全員で ロンドン、パリ、デンマークと旅をする。コペンハーゲンのクラブに出演した際、クラブのマネージャーに気に入られ1ヶ月間の長期出演の申し出を受けるも、ビザの関係で断念。失意の眼差しがあてもなく行き着いた先にまだ肌寒い5月のチボリ パーク のビルボードが有り、そこには ウエスト、ブルース&レイングのアドがあった。、、モーニング デューがやたら受けた、、」 (K.T.)


■8月 米国のロック・バンド マウンテン来日公演のオープニング・アクトを務め、この時フェリックス・パッパラルディと遭遇する。

■1974年 8月1日~8月10日
「ワン・ステップ・フェスティバル」 に出演。

■1975年 6月CREATION、ファースト・アルバム 「CREATION」 をリリース。

■7月 「サマー・ロック・フェスティバル」後楽園 に出演。


■8月3日~9日
「ワールド・ロック・フェスティバル」 が内田裕也のプロデュースのもと、東京、名古屋、京都、札幌、仙台で開催される。 フェリックス・パッパラルディと共演。


■10月~12月
CREATIONのメンバーはパッパラルディとの出会いを機に、10月に渡米。マサチューセッツ州ナンタケットでのリハーサル後 ニューヨーク州ウッドストックのベァズビル・スタジオでセカンド・アルバムのレコーディングに入る。
「この時、ポール・バターフィールドと20テイク取った。」 (K.T.)


■1976年 4月 CREATIONのセカンドアルバム 「CREATION with FELIX PAPPALARDI」 をリリース。


■4月24日 CREATIONはフェリックス・パッパラルディと共に日本武道館でワンマンコンサートをおこなう。


■6月8日 USA A&Mレコードより 「CREATION FELIX PAPPALARDI」 がリリースされる。

■5月~8月
CREATION with Felix Pappalardiは全米ツアーを行ない、アトランタ、ダラス、LA、エルパソなど計20ヶ所で公演した。この時、ボブ・シガー、ピーター・フランプトン、イエス、キッス、ジョニー・ウィンターなどと競演。


■1977年 2月 後楽園サーカステントでおこなわれた 「激突三大ギタリスト」 に竹田和夫オールスターズが出演。

■3月5日
CREATION・サード・アルバム 「ピュア・エレクトリック・ソウル」 をリリース。

■ 9月
松本が脱退し、山内テツ(b)が加入。
CREATIONは竹田和夫 (g.vo.)飯島義昭 (g.)、樋口晶之(ds.)、山内テツ(b) 、上綱克彦 (key)のメンバーでリトル・リバー・バンドとのツアー ロック・タイフーン・ツアーを開始する。
10月20日/名古屋市公会堂、10月21日/大阪・厚生年金ホール、10月23日/後楽園ホール。


■ 11月その後、リトル・リバー・バンドとオーストラリア・ツアーを行なう。このツアーでフリートウッド・マック、サンタナらと共演。
11月2日/パース、11月4日/アデレート、11月6日/メルボルン、11月7日/ニュー・キャスル、11月11日~13日/シドニー。



■1981 6月~ 松田優作のツアーをバックアップする。
また、松田優作主演の映画「横浜BJブルース」の音楽 を担当した。

■7月5日
アルバム「ロンリーハート」を発表

■1982

東京音楽祭に出演 タイトロープをプレイする。


■ 9月 ロンドン メソンルージュ スタジオでソロアルバム「Sometime Blues」を録音する。参加メンバーは キンクス、アージェントのリズムセクション、シン リジーのドラムス、ゴンザレスのキーボードとベース、 80年にCREATIONに在籍していた元National Flafのギャーリーブルワー、、など


■10月
CREATION 2度目の香港公演 ACホールで3日間行う。



<折からの教科書問題で爆発物を会場に仕掛けられる。あわててお客を場外に誘導、、アナウンスしながら思った、、なんで、、?>会場の外には3000人を超すデモ隊、、代表から慇懃に文部大臣への抗議文を預かる。
<なんで俺達が、、? でもしょうがないよね、、情報が混乱していた、、
その後に記者会見でメンバーのアイ高野が流石のキャリアで当意即妙の答え、、”俺達は銃じゃなくギターと愛を持ってきた、、” 次の日の新聞一面にこれが載る。 、、、K.T.>


■1984年 10月 12年間のCREATIONとしての活動に終止符を打つ。

■1986年 8月 B.B. Kingの九州公演にサポートバンドとして参加。

■1987年 春 竹田和夫&ボーイズ・オン・ロックスとしてスタートする。

■1988 シカゴ、アトランタ、LA、など米国各都市を音楽視察、、ジャムセッションなどを行う。

■1989年LAにて マイケルジャクソンのアレンジャーによりアルバムを制作。ティトジャクソンのプライベートスタジオを使用。

■ 1990年 ゴスペル音楽に傾倒し ゴスペルの世界での活動が増えていく。
アガペイ オールスターズ、 ゴスペルオールスターズ などなど

■1995年1月 旧友 ダニサマーの香港 コロシアムのコンサートにゲスト出演する。

Tommy Chung のアルバム 「Tommy & The All Blues/Play My Blues」 をプロデュース


■1997年 3月 米国に移住


■1998年98年から2000年まで LAのブルーズバンド
"The Country Boy Ruben Blues Band"でプレイする。


■2000年 10月 99年より始めた自己のグループを率いて 香港 ACホールで ソロコンサートを行った。

■2001春 Japan Tourをこの年より再開した。
平行してLittle Kenny White Band (R&B)、Jewel & The Love (Godspel)などのグループで、サポート活動を続ける。

■2002  Tommy Chungのアルバムプロデュースを2枚担当。
Danny Summerのプロデュースを担当した。ゲストプレイヤーとして参加する。
中国本土にて2回ソロライヴを行う。 (シャンゼン・シティ)

■2004 香港野外フェスでプレイした。

同時期 ダニーサマーのコロシアムコンサートにもゲスト参加した。
■2005年 COJイベントに参加また、中国広東市の音楽祭に参加した。外国人ギタリスト賞を受賞。


2005年以降現在まで 自身のソログループの活動と並行して 2014年に復活したCREATIONでの演奏活動も
続けている。 

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